「イノセンス・プロジェクト・ジャパン」Tシャツの着用を裁判所は制限できるか
「イノセンス・プロジェクト・ジャパン」Tシャツ着用制限問題とは
先日、冤罪当事者である西山美香さんが”INNOCENCE PROJECT JAPAN”と書かれたTシャツを着用して出廷したところ、裁判所から「政治的なメッセージのある鉢巻を持ち込むのと同じなのでやめてほしい。次回は、上着を羽織ってもらうか、もしくは、原告の出席を断ることも検討する。」という連絡がありました(まだ明確な決定がされたというものではなく、予告という性質のもののようです)。
イノセンス・プロジェクト・ジャパンというのは私も所属している冤罪救済団体です。冤罪を訴える人たちに支援をしたり、冤罪に関するシンポジウムなどを開催しております。今回の西山美香さんの湖東記念病院事件という冤罪事件に関しても、イノセンス・プロジェクト・ジャパンが支援した事件の一つです。
イノセンス・プロジェクト・ジャパン:支援の実績
この問題について、近時同様の問題がよく起きています。
HUFFPOST:法廷でレインボーの靴下が「禁止」される。はちまき、ゼッケンと一緒?
もっとも、これらの問題について、どのような問題なのかという点はあまり知られておらず、議論が進んでいない印象を受けています。そこで、今回はその点について解説記事を書こうと思いました。
裁判所の服装制限の根拠
今回の着用制限について、裁判所が根拠としているのは裁判所の庁舎等に関する規程の11条と12条です。これらの規程の前提には裁判所法71条2項があります。
裁判所の庁舎等に関する規程 11条 管理者は、庁舎等の管理のため必要があると認めるときは、庁舎等又はその内部の室に立ち入ろうとする者に対し、その人数、時間若しくは場所を制限し、又は立入りを禁止する等必要な措置を講じなければならない。 12条 管理者は、庁舎等において次の各号の一に該当する者に対し、その行為若しくは庁舎等への立入りを禁止し、又は退去を命じなければならない。ただし、管理者が第九号又は第十号に該当する者に対し、庁舎等の管理に支障がないものと認め、その行為を許可した場合は、この限りでない。 十 はちまき、ゼッケン、腕章その他これらに類する物を着用する者 裁判所法 71条 法廷における秩序の維持は、裁判長又は開廷をした一人の裁判官がこれを行う。 2項 裁判長又は開廷をした一人の裁判官は、法廷における裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者に対し、退廷を命じ、その他法廷における秩序を維持するのに必要な事項を命じ、又は処置を執ることができる。
裁判所法という法律上は「裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者」に対する制限なのですが、庁舎管理規程上は「はちまき、ゼッケン、腕章その他これらに類する物を着用する者」が原則禁止される形になっています。この点について、まず裁判所法の解釈としては、「法定警察権を行う裁判官は、暴行、喧騒等によって審判を妨害し、酩酊喫煙や異様の服装などによって法廷の威信を傷つける行状を制止し排除するために、退廷を命じたりその他必要な措置をすることができる」と、何らかの職務執行への妨害が念頭に置かれています(金子一・竹下守夫著『有斐閣法律学全集34 裁判所法』294頁)。研究者からは、服装制限に関する法廷警察権の行使は「具体的状況からいって、明白かつ現在の危険がみとめられる場合に厳格に限定されなければならない」ということや、漠然とした規定によって国民の表現の自由を制限する庁舎管理規程自体が「あきらかに不当」などと批判されています(潮見俊隆「裁判所庁舎管理規定の役割と性格」法律時報41巻1号70頁以下)。基本的には、裁判所の職務の執行を妨げるかどうかについて、どのような害悪が生じるかということに着目して、慎重に運用する必要があるということになると思います。
裁判所の服装制限に関する考え方
裁判所の服装制限に関する考え方に関して、近年の参考になる裁判例がブルーリボン着用制限訴訟です。判決文は「ブルーリボンを守る議員の会」が公開しています。
ブルーリボン着用制限訴訟は、拉致被害者救出を求める運動のシンボルとされる「ブルーリボン」のバッジを、法廷で外すよう裁判長が命じたのは不当だとする国家賠償請求訴訟です。2023年5月31日、裁判所は着用制限について違法はないと判断し、原告が第一審で敗訴しています。
判決文の中では、法廷警察権に基づく裁判著の判断は最大限に尊重されなければならないとされています。
法廷警察権は、法廷における訴訟の運営に対する傍聴人等の妨害を抑制、排除し、適正かつ迅速な裁判の実現という憲法上の要請を満たすために裁判長に付与された権限である。しかも、裁判所の職務の執行を妨げたり、法廷の秩序を乱したりする行為は、裁判の各場面においてさまざまな形で現れ得るものであり、法廷警察権は、各場面において、その都度、これに即応して適切に行使されなければならないことに鑑みれば、その行使は、当該法廷の状況等を最も的確に把握し得る立場にあり、かつ、訴訟の進行に全責任を持つ裁判長の広範な裁量に委ねられて然るべきものというべきであるから、その行使の要否、執るべき措置についての裁判長の判断は、最大限に尊重されなければならない。したがって、法廷警察権に基づく裁判長の措圃は、それが法廷警察権の目的、範囲を著しく逸脱し、又はその方法が甚だしく不当であるなどの特段の事情のない限り、国家賠償法1条1項の規定にいう違法な公権力の行使ということはできないものと解するのが相当である(以上について最高裁平成元年3月8日大法廷判決・民集43巻2号89頁参照)。
そして、以下の理由からブルーバッジの着用制限は違法ではないと判断しました。
本件要請がされた各口頭弁論期日の開廷前、傍聴券発行場所において本件バッジの着用を許せば、別件原告及び別件被告らの各支援者の間でさらなるいさかいに発展し、傍聴券の発行が円滑に行われず、ひいては別件訴訟の進行に支障を来す可能性、また、別件原告の支援者に対し、裁判所の中立性や公平性に対して懸念を抱かせる可能性があったと認められる。法廷は、事件を審理、裁判する場であり、訴訟関係者や傍聴人がバッジの着用等により表現行為をすることは予定されていないし、当該表現行為について、訴訟の進行に支障を来す場合にまで何らの制約も受けないということはできない。このことは、開廷前の傍聴券発行場所においても同様である。 以上によれば、本件要請について、法廷警察権の目的、範囲を著しく逸脱し、又はその方法が甚だしく不当であるなどの特段の事情があったと認めることができないから、国家賠償法1条1項にいう違法な公権力の行使ということはできない。
要するに、次のような事情が考慮されたということです。
①着用を許せば当事者間で更なる紛争が生じて訴訟進行に支障をきたす可能性がある
②着用を許せば裁判所の中立性や公平性に対して懸念を抱かせる可能性がある
③法廷は表現行為の場ではないので何も制約を受けないというものではない
特に①について、この訴訟では両当事者の主義主張の対立が顕在化しており、実際に傍聴券発行場所において原告の支援者が被告の支援者にバッジを外すよう求めるいさかいが生じていたそうです(判決文10頁)。
②については、私も裁判官であれば懸念するだろうなと思うところです。裁判所としては一定の衣服の制限をしていたり、現に衣服の着用が問題になっている状況下で、特定の衣服については規制がスルーされているということになると、それ自体が不平等であり、不公平な裁判をするのではないか、と見られてしまうからです。
結局、この裁判例は、着用されている衣服等のメッセージがどのようなものか、正しいかどうかはともかくとして、それが片一方に与するものであればそのことをきっかけに喧嘩が起きたりするかもしれないし、それを裁判所が許すことで中立性に疑問を抱かせるかもしれないおそれがある場合、法廷警察権の行使によってその着用を制限しても違法ではないということを言っているのです。
なお、この裁判例はまだ係争中であり、私個人として判決文の内容及び結論に賛成を表明するものではなく、あくまで本件の参考までに引用していることを念のため申し添えます。「着用を許す」という表現や、特に③の表現の自由との関係は要検討だと思います。確かに裁判は一般的な表現活動や政治活動の場ではありませんが、一方で裁判は訴訟における主張という表現の場でもあります。結局、重要なのは①②のような具体的な弊害の有無と程度になると思われます。
「イノセンス・プロジェクト・ジャパン」Tシャツの着用制限は許されるのか
「イノセンス・プロジェクト・ジャパン」Tシャツ問題に関して、①(着用を許せば当事者間で更なる紛争が生じて訴訟進行に支障をきたす可能性がある)については具体的にどのような事実に基づいて判断されたのかを裁判所が明示していません。私が認識している範囲では、裁判期日において訴訟関係人の誰からもTシャツに関する意見は出ておらず、何も諍いなく平穏に期日が終了したとのことです。Tシャツに関する具体的な紛争は生じていません。少なくとも外から見ると、裁判所が規制を予告することによって紛争を起こしたかのような外観になっています。
②(着用を許せば裁判所の中立性や公平性に対して懸念を抱かせる可能性がある)については、確かに冤罪に関するメッセージではあります。しかし、冤罪に関するメッセージを規制しないことによって一方当事者に与しているということになるのでしょうか?例えば、裁判官の法服は「何色にも染まらない」というメッセージであり、これは「冤罪の防止・救済」という刑事裁判の理念と関連するものでもあります。検察官バッジの「秋霜烈日」と弁護士バッジの「自由と正義」「公平と平等」というメッセージも同様です。何らTシャツの着用に関して紛争が生じていない段階で、法曹三者と同じようなメッセージ性を有する服の規制をしなかったことで、裁判所の中立性や公平性が揺らぐといえるのでしょうか。
今回の問題について、私は当事者ではありませんので裁判所の視点から何が見えていたかは分かりません。しかし、何も具体的な紛争が生じていないのであれば、今回の対応には疑問を抱かざるを得ません。
今回の問題はまだ終わっていません。弁護側は意見書を提出し、記者会見を開き、裁判所に規制予告の撤回を求めているそうです。裁判所の対応に注目しております。
最後に
ここからは法律家を離れた個人として書きます。法律とは無関係のものとして読んでください。
西山美香さんは冤罪当事者です。平成17年に第一審有罪判決(懲役12年)、平成18年に控訴棄却、平成19年に上告棄却で有罪が確定し、平成29年に大阪高裁で再審開始決定、令和2年に大津地裁の再審公判で無罪判決が宣告されました。事故が事件と間違えられてしまったという冤罪事件でした。
裁判所も誤判によって西山さんに有罪判決を下しました。西山さんが国家賠償請求訴訟を提起して「イノセンス・プロジェクト・ジャパン」Tシャツを着ている原因は司法にあります。そのことも踏まえて、Tシャツの着用を制限することの意味を考えてほしいと思います。
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